Hemmi Tatsuo

Hemmi Tatsuo

08-10-2022

13:49

70年代末から80年代初め。中曽根康弘主導での臨教審と反=管理教育としての「能力主義」の展開(日教組を管理教育の担い手と標的化)。同じく国労など労働組合叩き。民営化と規制緩和。社会運動は急激に退潮に。セゾン文化、電通、フジテレビ的な「軽チャー」「オシャレ」「面白い」ものの台頭。

同時代の東アジアの動き。中国第一次天安門事件(76)。韓国の民主化運動(80)への徹底弾圧。それらに対して誰が憂慮し、日本への拡大を「未然に」防いだのか?

自分自身が中学生から大学にかけての時期。ただ目に映った断片的な世界を現時点で編み直すと、一貫した政治的意志の介在をそこに感じざるをえない。別の世界の実現可能性が、全力で封じ込まれる鉄鎖の桎梏の中で、ただただ明るく笑いふざけること。皮肉にも生真面目に自らそれを掟のごとく課していた。

まあ、冷戦期最後の時期、黄昏の東側世界に抗し、来るべき新グローバル都市世界の「兵隊」のひとりとして、むざむざ育て上げられたということか。戦中期にプロパガンダで軍国少年・少女となりきった親の世代の轍を、自分たちもまた踏んだということなのだろう。

問題は、親たちは自国の敗戦という現実を突きつけられてその悪夢から覚めたというのに、私たちの場合は国家間戦争という形式を取らないゆえ終わりがいっこうに見えないことか。大部分のわれわれはもうとっくに手ひどく負けているというのに、夢を見たままでいる。

「日本を不沈空母にする」:1983(昭和58)年1月。初訪米した首相は米紙との会見で「日本列島を不沈空母のようにし、ソ連の爆撃機の侵入に巨大な防壁を築く」と発言。

マッカーシーの赤狩りではなく、日本はメディアと広告代理店で70年代末に「赤狩り」をほぼ成就した。恐怖ではなく嗤いの力で。それから50年。その実質は、オリンピックと冷笑文化のなかに生き残っている。


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